設立理念

 日本循環器学会は京都大学真下俊一教授の呼びかけで1935年(昭和10年)に設立された。その年の4月に創刊された「日本循環器病学」、後の(Japanese) Circulation Journalの第1頁には「我等の使命」という題名で設立者の熱い思いが述べられている。循環器病学が内科学会に従属しているのは日本だけで、欧米では既に専門分科として独立し、それぞれが覇をなしていると、当時既に発刊されていた欧米の循環器専門誌の名前が列挙してある。「河水の如く流れてやまぬ学問の中で循環器病学に於いても多くの業績が積み重ねられ、内科学として他の分野と共に総体的に取り扱うことが出来なくなった」と現状を訴え、内科学会から独立して循環器学に関する専門の機関誌と会合を持とうではないかという熱烈な呼びかけがなされた。そして本会の持つ使命として、学会報告や論文発表だけでなく、若い人たちの士気の高揚(助成)、循環器病に関する研究の推進、およびその予防に努めることが挙げられている。さらに、新しい情報を一般の臨床医に伝達することの重要性が強調された。最後はこれらの使命を達成することは一人循環器を専攻する医師に利するだけのものではなく、社会全体に幸福がもたらされることになると結ばれている。

 これらの理念は現在も全く変わることなく引き継がれている。機関誌と会合に関してはドイツに遅れること27年、アメリカに遅れること11年と出遅れに悲痛な悔恨が述べられているが、4分の3世紀が過ぎてみると、先人たちは良くぞ斯くも早い時期に本会の発足を決意してくれたものだと改めて感謝の気持ちが湧いてくる。最初は300人で始った会員数も今では2万人を超える。1936年3月に開催された第1回の年次総会では43の演題が発表されたに止まったが、今では演題の応募は4000題を超え、その採択率は50%以下という盛況を呈している。学会の参加者も世界の各地から集まるようになり、21世紀最初の会からは公用語に日本語だけでなく英語を採用するようになった。この点に関しては一部ではあるがかなり強い抵抗があった。しかし、科学が普遍性を持つものであれば科学活動への参加は各種の属性からは独立であり、すべての成果は平等に取り扱われることが前提となる。そのために情報の交換は国際共通語である英語を会して行うのが最も効率的で、言語障害を乗り越えるための負荷は我々が自ら負担するという自虐的な選択はしかたがなかったと思う。

 機関誌も2001年度からCirculation Journalと名前を変えて、より国際的な地位を確立できるよう新たな体制が整えられた。これらの動向はまさしく創立の理念に沿うものと自負している。若い研究者の助成は年々盛んになってきた。日本循環器学会賞(佐藤賞)をはじめとして、Young Investigators Awards、八木賞、CPIS賞、高安賞など8つの賞が設けられており毎年新進気鋭の研究者の応募が絶えない。真下教授の緒言の中に「如何なる貢献を学界になし得るであろうかと云う若人の希望」という言葉があるが、循環器学会が提供するこれらの賞を競う若い研究者の姿にこの言葉の実現を見る。日本循環器学会には、現在15の委員会があり、初期の理念に基づいた活動を続けている。教育研修委員会は若い医師や、一般内科医を対象にした教育プログラムを精力的に展開している。これからの情報社会に対処するために情報広報委員会が活動を開始した。本年、教育研修委員会の中に新たに設けられた禁煙推進小委員会も心血管病の予防に大きく貢献するものと期待される。

 一方で、20世紀に遂げられた爆発的な科学文明の発達はおそらく、本会を設立された先人たちの予測を遙に凌ぐものであるに違いない。それだけに21世紀には計り知れない複雑な問題が残されている。日本循環器学会も新しい世紀に人間性をより充実させ、活力のある住みよい社会を作るために新しい使命を担っていかねばならぬと思う。

(文責 篠山重威 2002年1月31日 受付)
(事務局 修正 2005年10月31日)